はぴろーはぴほー

双極性障害の夫とハッピーに老いていくためのハッピーな日報。略して、はぴ老はぴ報

夫から逃げていた私が、夫と共に生きていくと決意したときに考えた5つのこと

こんにちは、双極性障害の夫とハッピーに老いていこうと思っている
はぴほーです。

 

結婚について相談されたら経験をもとに答えられる。
離婚について相談されたら今のところ経験がないので一般論しか話せない。

では、理不尽にキレる夫が怖くてどうしていいかわからない人がいたら???



 

私なりに、答えられる。

 

かつて私は、キレる夫が怖くて逃げ回っていた。
親戚や友達、ビジネスホテルを転々としていたのだが、その時世話になった近しい人たちは皆、私の身を案じて「別れなさい」と言っていたし、私自身も離婚を決意し、離婚届にサインをして夫に渡してあった。

 

なのに、私は、夫のもとに戻った。

なぜなのか。

そのとき私が何を考えたのかということを今回は書こうと思う。
迷っている人たちが何らかの答えを出すためのきっかけになれば幸いである。
しかし、あくまで参考でしかないので答えを出すのは本人であり、また、こういった選択に正解があるわけではないという点もご理解頂いた上で読んで頂ければと思う。

目次

 

①キレる理由

前回の記事にも書いたが、夫と生きていくことを決意したきっかけは、夫の強制入院である。
このとき初めて双極性障害だと知った。
それは同時に、なぜキレるのか答えをもらったようなものだった。
入院したときに医師に言われたのは、例えば、以下のようなことだ。

・好きでキレているわけではない
・キレやすい性格でもない。むしろ、温厚
・ソウ状態の症状が出てキレている

診断された途端、理解できなかったキレる夫のことが、にわかに理解できるようになったのだ。
病気を知れば知るほど、かつての驚くような行動も、ゾッとするような行動も、何から何まで症状として説明することができた。
そして、説明できると恐怖心というものは薄れるものなのだ。

それだけではない。
説明がつくだけではなく、治療もできるという。
更には、完治はしないまでも寛解も可能だというじゃないか。

だったら、それを目指すしかない。

ということで私は、自然な流れで治療に向き合う気持ちになれた。

 

と言っても、キレる理由がわかっただけでは、戻る気にはなれない人も多いと思う。
また、キレる人全員が双極性障害というわけではないし、性格でキレやすい人もいるだろうから、その場合は悠長なことは言っていられないので逃げ切った方がいいかもしれない。
また、どうしたら病気かどうかを判断するかは、キレる本人ではなく配偶者またはご家族がメンタルクリニックを受診して相談してみるのも一つの方法である。
もしも、病気の疑いがある場合は医師と相談して治療をすすめるわけだが、それを、キレる本人が受け入れようとしない上に、自他共に身の危険を感じるようであれば警察に相談することをおすすめする。
1本目のブログにそのことを書いたが、リンクの貼り方がわからないので、貼れるようになったらここに貼っておこうと思う。

というわけで、私が戻ったのは、他にも理由がある。

 

②暴力の有無

暴力の有無は大きい。
暴力があったら、正直とっくに離婚していると思うし、双極性障害とは別の問題が含まれていると思う。

しかし、キレるというだけで、暴力をふるわれたと同等の恐怖を覚えるものだ。
だから、暴力がないというだけで戻る気になれるものでもない。
私が、戻る決意をしたのはいろんな条件が絡み合って選択したことだ。
よって、暴力がない、ということはその条件の一つであり、しかし、大事な条件の一つでもあるということだ。

 

③子供の有無

これも、何かを選択をするときに与える影響は大きい。
子供がいたら逃げたかもしれないし、子供がいるから逃げない選択をしている人もいるかもしれない。
私は、自分自身を守る決意をして戻った。
もしも子供がいて子供を守る自信が持てなかったら逃げていたかもしれない。
措置入院で夫が搬送された帰り、刑事さんに聞いたら「どっちも居る」と言っていた。逃げた女房も逃げなかった女房も居る、ということだ。
それはそうだろうと思う。
人生を左右する非常に大きな選択なので、それこそ自分自身でしか答えは出せない
ちなみに、私はこのとき子供を持つことを諦めた。

④逃げるということの重み

“逃げる”といってもいろいろある。
ちょっとの間逃げる。
1年だけ逃げる。
ほとぼりが冷めるまで逃げる。
生涯逃げる。

 

恐怖を抱き家族から逃げる場合、どの逃げるになるかと言うと、“生涯逃げる”が本線だ。もちろん、例外もあるだろうが、怖い夫から逃げたいんですと言って自治体を訪ねると“生涯逃げる”案を提示される。
そしてそれはどういうことかと言うと、住所だけではなく名前も戸籍も変え、親戚、友人とのつながりも断ち、まったくの別人として暮らすこと、それが“生涯逃げる”ということである。
なぜなら、実家はもとより親戚友人のところにも夫は追いかけてくるからだ。
実際、暴力夫から逃げ切るにはそれくらいしなければならない人たちが沢山いるのである。

夫から逃げ回って暮らしていたとき、自治体に助けを求め、そういった実態を知った。
そしてこれが、逃げようとしていた私の壁になったのも事実である。
どっちを選んでも地獄だな、と思ったことを覚えている。

だから、キレる理由がわかり、暴力もなく、自分以外守らなければならない子供もいない、となれば、逃げなくていいという条件が揃ったのではないかと私は思った。
何より、ちょこまかした似非逃亡生活によって、逃げるということの重みをイヤというほど感じてもいた。
だから、もう逃げなくていいということがどれほどの安心感につながったか、思い出すだけで感謝の気持ちでいっぱいになる

なので、逃げる逃げないの岐路に立っている人や迷っている人がいたら、決してマニュアルには成り得ないが、参考にはなるかもしれないと思い、そのとき考えたことを書いてみた。
諦めずに何かをすることで、答えを出せるときはやってくるのではないかと私は思っている。

といったわけで、私は、夫と生涯生きていく決意をしたのである。

 

⑤初心に帰る

以上のように、
キレる理由がわかり
暴力がなく
子供がなく
逃げるということの重みを感じていたことによって、夫と生きていく決意をしたのだが、最後にもう一つ、私が考えた大事なことがある。
それは、この人と結婚しようと思った理由だ。

これは人それぞれにあると思うのだが、私にもそれはいくつかあって、大したことではないのだが、それでも結婚するには譲れない条件で、かつ、同じ条件を満たす人は夫しかいなかった。
だから結婚したのだ。


夫に会う以前に条件を満たす人に会っていたらその人と結婚していただろうし、逃亡中にその条件を満たす人が現れていたら、夫とは離婚していたかもしれない。
だが、残念なことに、そのどうでもいいような条件でありながら譲れない条件を満たす人は今のところ夫しかいない。
結婚て、そんなもんじゃないだろうか。

私は、初心に帰った。

この人とならずっと一緒にいられると思ったあれやこれやを思い出していた。

私の場合は、会話力の高さと理解力の高さと尊敬だった。
おしゃべりも上手で理解力も高いということは、簡単に言うと、会話が弾むということであり、当然そこには相性というのもあるのだが、とにかく私は、この人なら、年をとってもずっと仲良くおしゃべりしているだろうなとイメージできたのだ。
奇しくもその会話力や理解力の高さ(敏感であり繊細でもある)というのが病気につながってもいるし、また、夫の場合は仕事にもつながっているのだが。
しかし、だからこそ、す、 すごい!と思えることがあるので、尊敬もしている。


人生100年時代、会話のない夫婦なんてゾッとするし、本物の孤独は心が凍る。
誰かとつながりがあるからこそ人は生きていけるわけで、それは例えば夫婦でなくてもいいわけだが、快適なコミュニケーションは必須である。

てことで、この先も、あーでもないこーでもないとおしゃべりしながら、ハッピーに老いていこうじゃないか。

以上