はぴろーはぴほー

双極性障害の夫とハッピーに老いていくためのハッピーな日報。略して、はぴ老はぴ報

双極性障害だからと言って悪いことばかりじゃない!むしろ病気のおかげで好転!!

 

こんにちは、双極性障害の夫とハッピーに老いていきたいと思っている
はぴほーです。

 

病気のおかげで好転などと言うと不謹慎に感じる人やイヤな気持ちになる患者さんもいるかもしれない。
けれども、実際私は、夫が双極性障害だったから火事場の底力的がんばりを発揮することができ、人生が大きく変化した
夫が双極性障害だったおかげなのだ。

双極性障害、別名、躁鬱病


“そううつ”


私は滅多にこの言葉を使わない。
使うのはもっぱら双極性障害だ。
なぜなら、そううつと言うと、まず、世間一般の反応は「大変ですね」ときて、次に来るのが「自分の知り合いにもうつ病の人いて」とか「親戚がうつ病で」とか、鬱病躁鬱病が同じだと思っている状態で会話が始まり、都度都度、病気の説明をしなければならなくなるからだ。
面倒なときは、そうですか、ご親戚の方もお大事に~などと訂正もしないまま会話を終える。それではいかんとわかっているが、しかし、裏を返せば、誤解している人がそれほど多いということなのだ。

ゆくゆくはそういった誤解をも解消できれば嬉しいのだが、まずはなんと言っても、同じような境遇にあってどうしていいかわからない人に、「人生は自分次第」ということを、リアルな当事者として伝えたいと思う。

双極性障害だからと言って悪いことばかりじゃない


以下は、私が身をもって体験した実話である。

目次

 

■夫が怖くて逃げ回っていた私が一気に好転したターニングポイントとは?

ずばり、強制入院である。

双極性障害Ⅰ型のソウ状態は怖い。
目つきも変わるし、言動も変わる。
夫の場合、暴力こそなかったが、ハチャメチャに物を壊す。そして、その流れで、自他共に被害が生じる可能性があった(症状の一つであり個人差あり)。

とにかく、全体的にキレやすくなる。
特に夫は、ソウの発作が出ていると言葉での攻撃が凄まじいタイプである。
大声で怒鳴られるともうそれだけで十分に怖い。
なので逃げ回っていた。
なぜ、そこまで興奮するのか理解もできなかった。

というのも、結婚するずいぶん前から、複数のメンタルクリニックパニック障害と診断され、パニック発作で暴れていると思われていたのだ。
その期間なんと10年以上。
私自身、夫には糖尿病とパニック障害という病気があるという認識の上で結婚していた。
今となっては空いた口もふさがらないほどの呆れた誤診だが、実際、巷のメンクリではそういったことは日常だし、四六時中一人の患者さんと過ごすわけではないので診断も難しいそうだ。
よって、入院するまで双極性障害という病気すら知らなかった。

 

正しい治療が施されていなかったせいで、無駄にツライ思いをしたエピソードは、履いて捨てるほどある。
今回は、救急病院で暴れていた頃の話をしておこう。
いかに正しい診断と治療法が大事であるか、反面教師にして頂けたら幸いである。

 

双極性障害の人は比較的頭の回転も速く、ソウ状態になって口論になるとその論理立てた攻撃性たるや生半可ではない。
いま思えば、パニック発作が出たと思って救急を受診していたのだが、実際はソウの興奮状態にまで発展していたわけで、そうなると夫は「助けてくれ、呼吸が苦しい」と言いながら暴れだすが、医師や看護師たちは大抵「呼吸はできてますから」となぜか面倒くさそうに答え待合室で長時間待たされる。
それはそうだろう。
パルスオキシメーターで計測して呼吸は確認できているのだから、キレ気味の患者にはむしろかかわりたくない。
かかわっている時間もない。
すると決まって夫が攻撃的になり、しかも言うことが的を射ているものだから、今度は攻撃された医師や看護師たちが感情的になり、病院に居ながらにして症状が悪化するのだ。
感情と感情がぶつかり合う最悪の事態である。
ソウ状態で興奮している患者との感情のぶつかり合いはご法度であるにもかかわらず、病院でそうなる。
なぜなら、メンクリでの診断のもとパニック障害で暴れていると私たちも思っていたし、救急の医師たちもそう申告した上で対応してもらっていたからだ。

入院する半年前は月に1、2回、これをやっていた。
出禁になった救急もある。
そして私は、何度途方に暮れたことか。

 

そんな普通ではない日々を送っていたある日、手に負えないほどの興奮状態から警察に保護されたことで、そこから、東京都立松沢病院に搬送されることになった。
この病院が入院先ではない。
ここで都の指定医2名の面談を受け、入院先が決まる。



夫と私は別々に面談を受けた。
30分ほどの質疑応答を繰り返したところで、2人の医師たちは互いに確認し合いながら「間違いないでしょう」と言って、改めて私に向かってこう言った。

「大変だったでしょう。一刻も早くご主人を救ってあげなければなりません。ご主人は、双極性障害躁うつ病です。これは大変な病気なんです。本当につらかったと思います。ご主人も、そして、奥さんも。一刻も早くご主人を救ってあげましょう。そして奥さんは、自分を大切にして自分のことも救ってあげてください」

 

私は涙が止まらなくなった。



その後も泣きながら、医師たちの説明を真剣に聞いた。
そうして、夫の強制入院が決定して、私の気持ちがガラリと変わったのだ。
“夫から逃げたい”から“夫と生きていく”という真逆の方向にハンドルを切った瞬間である。

 

■やってきた好機

フリーランスで文筆業をしている夫の年収は結婚当初2000万~3000万円あったのだが、入院をきっかけに仕事を一気に失ってしまった
無職である(現在は復帰)。
退院後しばらくは貯金で暮らした。
お金が減っていくだけの暮らしというのは不安なものだ。
どん底と言ってもいい。
だが、考え方がガラリと変わった私は、お金に関しては何ひとつ不安に思うことはなかった。
むしろ、やれる気しかしなかったからだ。
というか、やると決めたからやる以外の選択肢は、私にはなかった。

 

結婚直後、私もフリーランスで少しだけ仕事をしていたのだが、夫から逃げていたころは家庭内がめちゃくちゃなだけではなく、仕事をもらっていた会社もめちゃくちゃな経営で、ある時、あまりに理不尽な要求だったのでプチッと切れて文句を言ったら、その場でクビになってしまった。
それからは、パートをしながらそれこそ貯金を食いつぶす生活をしていた。

 

それがどうだろう。
双極性障害と診断され、その夫と生きていくと決心して5か月後のことだった。
かつてクビになった会社が経営困難に陥り、オーナーが変わり、人を探しているという情報が入ってきた。
私をクビにした社長やその取り巻きたちはいなくなり、半分以上のスタッフが刷新されていた。

「手伝ってもらえない?」

私は心の中で「喜んで!」と即答していたが、夫の状態を説明し、時間とお金の交渉をした。
結果、すべてを受け入れてもらい、好条件で職場復帰を果たした

まさに、好機到来である。

何か特別なことをしたわけではない。
パワースポットは好きだが、そういったところにも行っていない。
強いてあげれば、仕事を紹介してくれそうな人たちに、崩壊してしまった家庭のことを包み隠さず相談していたことくらいだろうか。
病気であることを隠していては一歩も前に進めない
オープンにすることで道は開けたのではないかと思う。

 

しかし、なんと言っても、人生を変えるほどの経験をして、考え方が変わったことが一番大きいと思う。

気持ちが仕事を引き寄せた気がしている。

 

■時間管理が人を成長させる

双極性障害の夫は時間にうるさい


決まった時間に起きて真っ先にPCのスイッチを入れトイレに行き顔を洗い、いや朝は顔を洗わず夫は出かける前に洗うのだが、よって顔は洗わないまま耳を切った食パンを焼き、半分マーガリンのバターを均等に塗って、それを食べながら新聞を読み、食べ終えると下唇に薬を2、3錠ほど器用に乗せて成分無調整豆乳でゴクリと飲む。この作業を3度繰り返し、朝の薬を飲み終えてPCに向かう。そしてPCに向かって……と、朝から晩まで夫のルーティンは続く。

決まったことを決まった時間内でやらないと落ち着かないし、イライラする傾向にある。
双極性障害の特徴の一つだ。

なので、夫が双極性障害だとわかってからというもの、むしろ、私の方が時間に厳しくなった
最優先は時間であり、夫との暮らしだからだ。

 

 

では、時間に厳しくなると何が変わるかと言うと、

  • 集中力が上がる
  • どうすれば効率が良くなるか工夫するようになる
  • 何事も最善を尽くす

 

くどいようだが、すべては時間のためだ。
決められた勤務時間内にやるべきことを終わらせたいのだ。
でなければ、夫の状態が安定しない
常に必死、常に火事場である。
よって、火事場の底力状態が日常化していった。

 

そうやって無我夢中で半年ほど過ごしてみると、やるべきことをやるだけではなく、それ以上のことまでやってのけるようになり、やがては、これが何をやっても中途半端だった自分なのかと我が身を見紛うほどの結果がついてきた。

そうして夫の退院後、スタートダッシュした1年とその後の2年間をがむしゃらに走り抜けた。
おかげで出世もしたし(残業はしない)、給料も見る見る間に2倍3倍……と増えていった。

これは明らかに私ひとりの実力ではない


夫がいたからだ。


人は自分だけで成長したと勘違いしてはいけないし、私の場合はやはりタイトル通り
夫が双極性障害だったおかげなのである。

 

そして今では救急病院に駆け込んでそこでもめることも一切なくなった

こんな幸せなことはない

これを、好転と言わずなんと言うのか。

 

もちろん、不安もなく楽しくてしょうがないと言ったら嘘になる

安定していても、ちょっとした出来事をきっかけに、症状が出てくることも度々ある。
そんなときは、夫が健康だったらと思わないでもない。

けれど。

 

考え方一つで人生は激変するのだ。

人生100年時代、お金もこれまで以上に必要になってくるだろう。

だったら、嘆いていても始まらない。

やることやって、ハッピーに老いようじゃないか。

 

以上