はぴろーはぴほー

双極性障害の夫とハッピーに老いていくためのハッピーな日報。略して、はぴ老はぴ報

夫から逃げていた私が、夫と共に生きていくと決意したときに考えた5つのこと

こんにちは、双極性障害の夫とハッピーに老いていこうと思っている
はぴほーです。

 

結婚について相談されたら経験をもとに答えられる。
離婚について相談されたら今のところ経験がないので一般論しか話せない。

では、理不尽にキレる夫が怖くてどうしていいかわからない人がいたら???



 

私なりに、答えられる。

 

かつて私は、キレる夫が怖くて逃げ回っていた。
親戚や友達、ビジネスホテルを転々としていたのだが、その時世話になった近しい人たちは皆、私の身を案じて「別れなさい」と言っていたし、私自身も離婚を決意し、離婚届にサインをして夫に渡してあった。

 

なのに、私は、夫のもとに戻った。

なぜなのか。

そのとき私が何を考えたのかということを今回は書こうと思う。
迷っている人たちが何らかの答えを出すためのきっかけになれば幸いである。
しかし、あくまで参考でしかないので答えを出すのは本人であり、また、こういった選択に正解があるわけではないという点もご理解頂いた上で読んで頂ければと思う。

目次

 

①キレる理由

前回の記事にも書いたが、夫と生きていくことを決意したきっかけは、夫の強制入院である。
このとき初めて双極性障害だと知った。
それは同時に、なぜキレるのか答えをもらったようなものだった。
入院したときに医師に言われたのは、例えば、以下のようなことだ。

・好きでキレているわけではない
・キレやすい性格でもない。むしろ、温厚
・ソウ状態の症状が出てキレている

診断された途端、理解できなかったキレる夫のことが、にわかに理解できるようになったのだ。
病気を知れば知るほど、かつての驚くような行動も、ゾッとするような行動も、何から何まで症状として説明することができた。
そして、説明できると恐怖心というものは薄れるものなのだ。

それだけではない。
説明がつくだけではなく、治療もできるという。
更には、完治はしないまでも寛解も可能だというじゃないか。

だったら、それを目指すしかない。

ということで私は、自然な流れで治療に向き合う気持ちになれた。

 

と言っても、キレる理由がわかっただけでは、戻る気にはなれない人も多いと思う。
また、キレる人全員が双極性障害というわけではないし、性格でキレやすい人もいるだろうから、その場合は悠長なことは言っていられないので逃げ切った方がいいかもしれない。
また、どうしたら病気かどうかを判断するかは、キレる本人ではなく配偶者またはご家族がメンタルクリニックを受診して相談してみるのも一つの方法である。
もしも、病気の疑いがある場合は医師と相談して治療をすすめるわけだが、それを、キレる本人が受け入れようとしない上に、自他共に身の危険を感じるようであれば警察に相談することをおすすめする。
1本目のブログにそのことを書いたが、リンクの貼り方がわからないので、貼れるようになったらここに貼っておこうと思う。

というわけで、私が戻ったのは、他にも理由がある。

 

②暴力の有無

暴力の有無は大きい。
暴力があったら、正直とっくに離婚していると思うし、双極性障害とは別の問題が含まれていると思う。

しかし、キレるというだけで、暴力をふるわれたと同等の恐怖を覚えるものだ。
だから、暴力がないというだけで戻る気になれるものでもない。
私が、戻る決意をしたのはいろんな条件が絡み合って選択したことだ。
よって、暴力がない、ということはその条件の一つであり、しかし、大事な条件の一つでもあるということだ。

 

③子供の有無

これも、何かを選択をするときに与える影響は大きい。
子供がいたら逃げたかもしれないし、子供がいるから逃げない選択をしている人もいるかもしれない。
私は、自分自身を守る決意をして戻った。
もしも子供がいて子供を守る自信が持てなかったら逃げていたかもしれない。
措置入院で夫が搬送された帰り、刑事さんに聞いたら「どっちも居る」と言っていた。逃げた女房も逃げなかった女房も居る、ということだ。
それはそうだろうと思う。
人生を左右する非常に大きな選択なので、それこそ自分自身でしか答えは出せない
ちなみに、私はこのとき子供を持つことを諦めた。

④逃げるということの重み

“逃げる”といってもいろいろある。
ちょっとの間逃げる。
1年だけ逃げる。
ほとぼりが冷めるまで逃げる。
生涯逃げる。

 

恐怖を抱き家族から逃げる場合、どの逃げるになるかと言うと、“生涯逃げる”が本線だ。もちろん、例外もあるだろうが、怖い夫から逃げたいんですと言って自治体を訪ねると“生涯逃げる”案を提示される。
そしてそれはどういうことかと言うと、住所だけではなく名前も戸籍も変え、親戚、友人とのつながりも断ち、まったくの別人として暮らすこと、それが“生涯逃げる”ということである。
なぜなら、実家はもとより親戚友人のところにも夫は追いかけてくるからだ。
実際、暴力夫から逃げ切るにはそれくらいしなければならない人たちが沢山いるのである。

夫から逃げ回って暮らしていたとき、自治体に助けを求め、そういった実態を知った。
そしてこれが、逃げようとしていた私の壁になったのも事実である。
どっちを選んでも地獄だな、と思ったことを覚えている。

だから、キレる理由がわかり、暴力もなく、自分以外守らなければならない子供もいない、となれば、逃げなくていいという条件が揃ったのではないかと私は思った。
何より、ちょこまかした似非逃亡生活によって、逃げるということの重みをイヤというほど感じてもいた。
だから、もう逃げなくていいということがどれほどの安心感につながったか、思い出すだけで感謝の気持ちでいっぱいになる

なので、逃げる逃げないの岐路に立っている人や迷っている人がいたら、決してマニュアルには成り得ないが、参考にはなるかもしれないと思い、そのとき考えたことを書いてみた。
諦めずに何かをすることで、答えを出せるときはやってくるのではないかと私は思っている。

といったわけで、私は、夫と生涯生きていく決意をしたのである。

 

⑤初心に帰る

以上のように、
キレる理由がわかり
暴力がなく
子供がなく
逃げるということの重みを感じていたことによって、夫と生きていく決意をしたのだが、最後にもう一つ、私が考えた大事なことがある。
それは、この人と結婚しようと思った理由だ。

これは人それぞれにあると思うのだが、私にもそれはいくつかあって、大したことではないのだが、それでも結婚するには譲れない条件で、かつ、同じ条件を満たす人は夫しかいなかった。
だから結婚したのだ。


夫に会う以前に条件を満たす人に会っていたらその人と結婚していただろうし、逃亡中にその条件を満たす人が現れていたら、夫とは離婚していたかもしれない。
だが、残念なことに、そのどうでもいいような条件でありながら譲れない条件を満たす人は今のところ夫しかいない。
結婚て、そんなもんじゃないだろうか。

私は、初心に帰った。

この人とならずっと一緒にいられると思ったあれやこれやを思い出していた。

私の場合は、会話力の高さと理解力の高さと尊敬だった。
おしゃべりも上手で理解力も高いということは、簡単に言うと、会話が弾むということであり、当然そこには相性というのもあるのだが、とにかく私は、この人なら、年をとってもずっと仲良くおしゃべりしているだろうなとイメージできたのだ。
奇しくもその会話力や理解力の高さ(敏感であり繊細でもある)というのが病気につながってもいるし、また、夫の場合は仕事にもつながっているのだが。
しかし、だからこそ、す、 すごい!と思えることがあるので、尊敬もしている。


人生100年時代、会話のない夫婦なんてゾッとするし、本物の孤独は心が凍る。
誰かとつながりがあるからこそ人は生きていけるわけで、それは例えば夫婦でなくてもいいわけだが、快適なコミュニケーションは必須である。

てことで、この先も、あーでもないこーでもないとおしゃべりしながら、ハッピーに老いていこうじゃないか。

以上

双極性障害だからと言って悪いことばかりじゃない!むしろ病気のおかげで好転!!

 

こんにちは、双極性障害の夫とハッピーに老いていきたいと思っている
はぴほーです。

 

病気のおかげで好転などと言うと不謹慎に感じる人やイヤな気持ちになる患者さんもいるかもしれない。
けれども、実際私は、夫が双極性障害だったから火事場の底力的がんばりを発揮することができ、人生が大きく変化した
夫が双極性障害だったおかげなのだ。

双極性障害、別名、躁鬱病


“そううつ”


私は滅多にこの言葉を使わない。
使うのはもっぱら双極性障害だ。
なぜなら、そううつと言うと、まず、世間一般の反応は「大変ですね」ときて、次に来るのが「自分の知り合いにもうつ病の人いて」とか「親戚がうつ病で」とか、鬱病躁鬱病が同じだと思っている状態で会話が始まり、都度都度、病気の説明をしなければならなくなるからだ。
面倒なときは、そうですか、ご親戚の方もお大事に~などと訂正もしないまま会話を終える。それではいかんとわかっているが、しかし、裏を返せば、誤解している人がそれほど多いということなのだ。

ゆくゆくはそういった誤解をも解消できれば嬉しいのだが、まずはなんと言っても、同じような境遇にあってどうしていいかわからない人に、「人生は自分次第」ということを、リアルな当事者として伝えたいと思う。

双極性障害だからと言って悪いことばかりじゃない


以下は、私が身をもって体験した実話である。

目次

 

■夫が怖くて逃げ回っていた私が一気に好転したターニングポイントとは?

ずばり、強制入院である。

双極性障害Ⅰ型のソウ状態は怖い。
目つきも変わるし、言動も変わる。
夫の場合、暴力こそなかったが、ハチャメチャに物を壊す。そして、その流れで、自他共に被害が生じる可能性があった(症状の一つであり個人差あり)。

とにかく、全体的にキレやすくなる。
特に夫は、ソウの発作が出ていると言葉での攻撃が凄まじいタイプである。
大声で怒鳴られるともうそれだけで十分に怖い。
なので逃げ回っていた。
なぜ、そこまで興奮するのか理解もできなかった。

というのも、結婚するずいぶん前から、複数のメンタルクリニックパニック障害と診断され、パニック発作で暴れていると思われていたのだ。
その期間なんと10年以上。
私自身、夫には糖尿病とパニック障害という病気があるという認識の上で結婚していた。
今となっては空いた口もふさがらないほどの呆れた誤診だが、実際、巷のメンクリではそういったことは日常だし、四六時中一人の患者さんと過ごすわけではないので診断も難しいそうだ。
よって、入院するまで双極性障害という病気すら知らなかった。

 

正しい治療が施されていなかったせいで、無駄にツライ思いをしたエピソードは、履いて捨てるほどある。
今回は、救急病院で暴れていた頃の話をしておこう。
いかに正しい診断と治療法が大事であるか、反面教師にして頂けたら幸いである。

 

双極性障害の人は比較的頭の回転も速く、ソウ状態になって口論になるとその論理立てた攻撃性たるや生半可ではない。
いま思えば、パニック発作が出たと思って救急を受診していたのだが、実際はソウの興奮状態にまで発展していたわけで、そうなると夫は「助けてくれ、呼吸が苦しい」と言いながら暴れだすが、医師や看護師たちは大抵「呼吸はできてますから」となぜか面倒くさそうに答え待合室で長時間待たされる。
それはそうだろう。
パルスオキシメーターで計測して呼吸は確認できているのだから、キレ気味の患者にはむしろかかわりたくない。
かかわっている時間もない。
すると決まって夫が攻撃的になり、しかも言うことが的を射ているものだから、今度は攻撃された医師や看護師たちが感情的になり、病院に居ながらにして症状が悪化するのだ。
感情と感情がぶつかり合う最悪の事態である。
ソウ状態で興奮している患者との感情のぶつかり合いはご法度であるにもかかわらず、病院でそうなる。
なぜなら、メンクリでの診断のもとパニック障害で暴れていると私たちも思っていたし、救急の医師たちもそう申告した上で対応してもらっていたからだ。

入院する半年前は月に1、2回、これをやっていた。
出禁になった救急もある。
そして私は、何度途方に暮れたことか。

 

そんな普通ではない日々を送っていたある日、手に負えないほどの興奮状態から警察に保護されたことで、そこから、東京都立松沢病院に搬送されることになった。
この病院が入院先ではない。
ここで都の指定医2名の面談を受け、入院先が決まる。



夫と私は別々に面談を受けた。
30分ほどの質疑応答を繰り返したところで、2人の医師たちは互いに確認し合いながら「間違いないでしょう」と言って、改めて私に向かってこう言った。

「大変だったでしょう。一刻も早くご主人を救ってあげなければなりません。ご主人は、双極性障害躁うつ病です。これは大変な病気なんです。本当につらかったと思います。ご主人も、そして、奥さんも。一刻も早くご主人を救ってあげましょう。そして奥さんは、自分を大切にして自分のことも救ってあげてください」

 

私は涙が止まらなくなった。



その後も泣きながら、医師たちの説明を真剣に聞いた。
そうして、夫の強制入院が決定して、私の気持ちがガラリと変わったのだ。
“夫から逃げたい”から“夫と生きていく”という真逆の方向にハンドルを切った瞬間である。

 

■やってきた好機

フリーランスで文筆業をしている夫の年収は結婚当初2000万~3000万円あったのだが、入院をきっかけに仕事を一気に失ってしまった
無職である(現在は復帰)。
退院後しばらくは貯金で暮らした。
お金が減っていくだけの暮らしというのは不安なものだ。
どん底と言ってもいい。
だが、考え方がガラリと変わった私は、お金に関しては何ひとつ不安に思うことはなかった。
むしろ、やれる気しかしなかったからだ。
というか、やると決めたからやる以外の選択肢は、私にはなかった。

 

結婚直後、私もフリーランスで少しだけ仕事をしていたのだが、夫から逃げていたころは家庭内がめちゃくちゃなだけではなく、仕事をもらっていた会社もめちゃくちゃな経営で、ある時、あまりに理不尽な要求だったのでプチッと切れて文句を言ったら、その場でクビになってしまった。
それからは、パートをしながらそれこそ貯金を食いつぶす生活をしていた。

 

それがどうだろう。
双極性障害と診断され、その夫と生きていくと決心して5か月後のことだった。
かつてクビになった会社が経営困難に陥り、オーナーが変わり、人を探しているという情報が入ってきた。
私をクビにした社長やその取り巻きたちはいなくなり、半分以上のスタッフが刷新されていた。

「手伝ってもらえない?」

私は心の中で「喜んで!」と即答していたが、夫の状態を説明し、時間とお金の交渉をした。
結果、すべてを受け入れてもらい、好条件で職場復帰を果たした

まさに、好機到来である。

何か特別なことをしたわけではない。
パワースポットは好きだが、そういったところにも行っていない。
強いてあげれば、仕事を紹介してくれそうな人たちに、崩壊してしまった家庭のことを包み隠さず相談していたことくらいだろうか。
病気であることを隠していては一歩も前に進めない
オープンにすることで道は開けたのではないかと思う。

 

しかし、なんと言っても、人生を変えるほどの経験をして、考え方が変わったことが一番大きいと思う。

気持ちが仕事を引き寄せた気がしている。

 

■時間管理が人を成長させる

双極性障害の夫は時間にうるさい


決まった時間に起きて真っ先にPCのスイッチを入れトイレに行き顔を洗い、いや朝は顔を洗わず夫は出かける前に洗うのだが、よって顔は洗わないまま耳を切った食パンを焼き、半分マーガリンのバターを均等に塗って、それを食べながら新聞を読み、食べ終えると下唇に薬を2、3錠ほど器用に乗せて成分無調整豆乳でゴクリと飲む。この作業を3度繰り返し、朝の薬を飲み終えてPCに向かう。そしてPCに向かって……と、朝から晩まで夫のルーティンは続く。

決まったことを決まった時間内でやらないと落ち着かないし、イライラする傾向にある。
双極性障害の特徴の一つだ。

なので、夫が双極性障害だとわかってからというもの、むしろ、私の方が時間に厳しくなった
最優先は時間であり、夫との暮らしだからだ。

 

 

では、時間に厳しくなると何が変わるかと言うと、

  • 集中力が上がる
  • どうすれば効率が良くなるか工夫するようになる
  • 何事も最善を尽くす

 

くどいようだが、すべては時間のためだ。
決められた勤務時間内にやるべきことを終わらせたいのだ。
でなければ、夫の状態が安定しない
常に必死、常に火事場である。
よって、火事場の底力状態が日常化していった。

 

そうやって無我夢中で半年ほど過ごしてみると、やるべきことをやるだけではなく、それ以上のことまでやってのけるようになり、やがては、これが何をやっても中途半端だった自分なのかと我が身を見紛うほどの結果がついてきた。

そうして夫の退院後、スタートダッシュした1年とその後の2年間をがむしゃらに走り抜けた。
おかげで出世もしたし(残業はしない)、給料も見る見る間に2倍3倍……と増えていった。

これは明らかに私ひとりの実力ではない


夫がいたからだ。


人は自分だけで成長したと勘違いしてはいけないし、私の場合はやはりタイトル通り
夫が双極性障害だったおかげなのである。

 

そして今では救急病院に駆け込んでそこでもめることも一切なくなった

こんな幸せなことはない

これを、好転と言わずなんと言うのか。

 

もちろん、不安もなく楽しくてしょうがないと言ったら嘘になる

安定していても、ちょっとした出来事をきっかけに、症状が出てくることも度々ある。
そんなときは、夫が健康だったらと思わないでもない。

けれど。

 

考え方一つで人生は激変するのだ。

人生100年時代、お金もこれまで以上に必要になってくるだろう。

だったら、嘆いていても始まらない。

やることやって、ハッピーに老いようじゃないか。

 

以上

双極性障害の家族がソウ状態で暴れたとき、自分がどうにかしなきゃなどとゆめゆめ思うなかれ!

with双極性障害and糖尿病

私の夫は双極性障害Ⅰ型と糖尿病を患っている。

ここ数年、withコロナ社会と言われているけれど、我が家ではずっと前からwith双極性障害and糖尿病なので、これらの病状が悪化しないように1年365日毎日毎日withしている。
そこへきてコロナとwithなんてことになっているのだけれど、こちらにしてみれば、厳戒態勢を敷いているので、ことコロナに関しては、withoutコロナを目指す日々である。


そんなある日、Twitterを見ていたら、双極性障害である結婚相手に無謀なことを強要されて怖い、誰か助けてほしいと呟いている人がいたのだ。

涙が出た。
気持ちがわかるからだ。

 

と言っても。
実のところ現在の私は、ほとんど笑って暮らしている。
1年365日ある中の355日~360日(私だけ調べ)は、笑って暮らしている。
何しろwithなのだから。

 

もっとも、そうではないツラいツラい年月がかつてはあったのだが、一つずつ乗り越えることで1年のほとんどを笑って暮らせるようになったのだ。

 

なので、同じように苦しんいる人が救われるような何かを発信できないだろうかと思いブログを始めることにした。
もちろん、Twitterで見た彼女に届くことを心から願っているが……

 

とはいえ、双極性障害の専門家というわけじゃあない。
この十数年で経験したことならわかる程度だ。

夫が措置入院したときに世話になった担当医や刑事さん、面接してくれた医師たち、今でも世話になっている主治医、もっというと、診断も難しいそうなので、誤診に次ぐ誤診をしてきた入院前まで夫を診てきた何人かの医師たちによっても、教えられたことならそれなりにある。

 

そのそれなりにある双極性障害のあれやこれやの中で、大事だなと感じていることや、過去に起きた騒動、この先起きるかもしれないハプニング、また日常の出来事を通してリアルなそれぞれの対処法などを報告していこうと思う。

 

ちなみに、双極性障害がどんな病気か知りたい方は、専門医たちが書いているブログが参考になるだろう。
そうではなく、あまりにツラい日々が続くため、明るく楽しい未来が待っているなんて到底思えない患者さん本人やそのご家族に、「そんなことないよ」と伝えたい。
個人差はあるとしても希望は捨てないで、と例え伝わらなくても言うだけは言いたい。

 

なので、参考程度に読んで頂けたら幸いである。

 

ということで、1本目の本稿でも、枚挙にいとまがない夫の暴れん坊エピソードを書きたいところだが、そこはぐっとこらえて、まずは、双極性障害Ⅰ型の患者がソウ状態で暴れたらいかに怖いか(あくまで個人差あり)、実際にあった医師とのやりとりを記すことで伝えてみようと思う。

 

夫がソウ状態で暴れたときのある日の医師とのやりとり

それは、45日間に及ぶ措置入院を経て退院から約1年が過ぎたある日のことだ。
ソウ状態になって興奮している夫を鎮めてもらおうと、私は一人で、夫が通院している病院の精神科に駆け込んだ。

 

必死である。何が起こるかわからない恐怖を抱えて駆け込む。
一刻でも早く夫を落ち着かせることが必要なのだ。
また、ソウの症状が出てしまったときは、できるだけ一緒に居なようにと入院時の担当医や主治医からも指導を受けていた。
よって、部屋を出て一人で病院に駆け込んだのだ。

 

だが、残念なことにその日主治医は休みだった。
どうしよう、相談できる人がいない。絶望の中、帰ろうとしたら、
「診察受けていかれますか? 別の先生で良ければ」と窓口の人が言ったのだ。
精神科というところは、患者の家族も診察を受けることができる。
私は二つ返事で答えた。
「はい! お願いします!」

 

で、診察。
比較的若い女医さんだった。
私は夫の状況を細かく説明した。
専門医からのアドバイスが欲しかったし、解決したかったからだ。
そして、その説明の途中にこう言った。


夫をここに連れてきてもいいですか?
すると女医さんは間髪入れずに、
やめてください。怖いんで。興奮してるんですよね?
ときっぱりと言い切ったのだ。

そう、きっぱりと。

 

専門医も怖がる、いやむしろ専門医だからこそ、恐怖を覚えるレベルの興奮状態(個人差あり)にあることがわかるのである。

連れてこられては迷惑です、とも言っていた。

これが、双極性障害Ⅰ型の患者がソウ状態になったときの症状だ(くどいが個人差あり)。
本人も好きで興奮しているわけではない。
あくまで症状であり、一過性であり、衝動的である(計画性はまったくない)。

 

まず、女医さんの対応について誤解のないよう解説しておこう。

緊急を要する状態だったら他の対処をしたはずだが、処方されている薬とその時点ですでに飲んでいた頓服薬で対応できると判断された。
実際、この日はそれでおさまった。
また、初対面の医師に興奮している状態で会っても、主治医に会うような効果は期待できないと判断されたのではないかと推測する。

説得でどうにかなるものではない。

なだめたり、あやしたり、時に厳しく接したり、なんてことが一切通用しないのだ。

 

さすが専門医である。
あ~いいですよ~連れてきてください、などと適当なことは言わない。
むしろ、手厳しい。
ただし、もしもこの日主治医がいたとしたら、連れてきてください、になるのだが。

 

ソウ状態で極度に興奮してしまったら、あなたも私も、そして専門医ですら、どうにかできるものではないのだ。

 

だったら、どうしたらいいの??? と思われるだろう。

 

対処法は、我が家の場合、以下の2つしかない(※個人差がありますのでそれぞれの対処は自己判断及び自己責任でお願いいたします)。

 

ソウ状態で暴れてしまったときの対処法

  1. 119番通報
  2. 110番通報

 

二択である。

対処法をご覧頂ければ察してもらえると思うが、言い換えると、
夫と私の命を守るための対処法である。

 

119番通報

救急車で病院に連れていってもらう。
そのときに備えて我が家では、主治医に紹介状を書いてもらっている
この紹介状は私のお守りでもある。
特に、双極性障害の場合は、どこの病院でも対応してもらえるわけではないので、あらかじめ受け付けてもらえる病院を見つけておくことが大事である。
興奮している本人と少しでも話が通じるようなら、私はこちらの救急車要請を選択している。
状態によっては、救急隊員が到着した頃に頓服が効いて落ち着きを取り戻していることもあるからだ。
また、病状によって入院が必要となる場合、自費入院となる。
入退院にはある程度の希望が考慮される。

 

110番通報

まったく手に負えないときはこちら。
保護要請である。
双極性障害の夫が発作で暴れているので怖いので保護をお願いします」
と適格に伝えよう。
病気の発作が出ているということ、また怖いということ、この2点は必ず伝えるべきだと私は思っている。
ただし、病名を言っても状況がわからない警察官の方が多いので、そのときは、
「精神病のため保護してください。怖いです」で伝わるはずだ。
ベテラン刑事さんなら保護経験が何度もあると思うので、平常時に警察署を訪ねて刑事さんに相談しておくことをおすすめする。

警察に保護してもらう場合の注意として、強制入院(措置入院)になることがあるのでその覚悟をもって通報しなければならない。
措置入院の場合、全額自費にはならないが状況によって負担額も変わってくる。
入退院には希望が考慮されることはない(複数の医師たちによる判断のみ)。

 

以上が、ソウ状態で暴れてしまったときの我が家の対処法である。
もちろん、興奮状態にならないための対処法もあり、今ではむしろ、そちらの方が何より大事である
それでも、症状が出てしまう可能性があるので、だからこそ、備えることが大切になってくる。

この対処法はとても大事なことなのでそのうち改めて、このことだけで書こうと思う。

 

自分がどうにかしなきゃなどと
ゆめゆめ思うなかれ!

最後に、何よりも大事だと思っていることを書いておく。
それは自分だけで解決しようと思わないことだ。

これは絶対!!

むしろ、悪い方向にしかすすまない。
興奮がおさまるどころか刺激し続けることになる。
かつての私は、自分のことだから自分でどうにかしなきゃと思っていたので、感情を取り乱しながらいつまでもしつこく、興奮している夫に対応していた。


だが、それが大きな間違いだったのだ。
はっきり言って、自分だけではどうにもならない。
特に、家族には甘えてしまうので、病状は悪化するだけだ。


周囲の人々に助けを求める

 

これが解決の近道である。

 

うわっ、大変、ソウ状態こわっ!
と思われた方もいるのではないだろうか。

その通り、まぁ、大変ではある。

でもでもでもでもでもでもでも!

それでもだ。
with双極性障害and糖尿病であっても、楽しく暮らせる

with 双極性障害 and 糖尿病で暮らす私たち

事実だ。
ともに手を取り、互いをいたわり、なぐさめ、励まし、バカ話に明け暮れる、なんてことができるのだ。

実際、そうやって暮らしてきた。

この先もそうしていきたい。

人生100歳時代なんて言われているわけだし。

ハッピーに老いていこうじゃないか。

 

以上

※病状には個人差がありますので、このブログを読むことによって病状が回復することを保証するものではありません